ギャラリー 2025-03-262025-06-16 迎帆楼前の西谷港に集結した4艘の巻藁船。背後の山上には犬山城。昭和2(1927)年6月22日(現7月22日)、三光稲荷神社祭礼の日。出典「日本八景 木曽川」(個人蔵) 犬山城のシルエットを背景に巡航する4艘の巻藁船。それぞれの船で提灯の配置が異なるのが興味深い。昭和初期の川祭のようす。出典「ふるさとの思い出写真集明治大正昭和犬山」国書刊行会 昭和5(1930)年発行、三光稲荷神社の栞に掲載された写真。「日本一の舟祭」と題している。提灯を灯して川面を運航する巻藁船が5艘写っている写真はとても珍しい貴重な写真。犬山市文化史料館提供。 木津用水に停泊し、提灯の飾り付けを行う3艘の巻藁船。手前から下本町、鵜飼町。3艘目は判読不明だが、蜂巣の下に仕切りのようなものが見える。昭和初期に流行った絵ハガキの一枚と思われる。犬山市文化史料館提供。 提灯の準備を進める3艘の巻藁船。中央は鵜飼町、右は不明、左は「中本丸」と読めるので中本町か。背景には鵜飼町の川沿いの家並みがよく分かる。これも昭和初期の絵ハガキの一枚。犬山市文化史料館提供。 犬山橋近くまで遡上した本町の巻藁船「咸英(かんえい)丸」。背後の城山の山上にはかつてあった料理旅館「城山荘」が見える。昭和24(1949)年7月22日(伝聞)。保存会員青木氏提供。 鵜飼町あたりの木津用水畔に集結した4艘の巻藁船。手前から新町、鵜飼町、3艘目は行灯の文字が「玉光丸」と読めるが、出来町であろうか。4艘目は不明。撮影時期は昭和20年代中頃と推測。出展「写真アルバム犬山・江南の昭和」樹林舎 前の写真と同時期、同場所のものと思われるが、1艘目が本町であるので違う年であろう。2艘目以降は鵜飼町、材木町、内田町とする見方もある。原版は絵ハガキらしい。元材木町住民の安藤榮氏提供。 巻藁船は写っていないが、木曽川を運航する船の船だまりとなっていた西谷港。岸辺の建物は料理旅館「迎帆楼」(大正8年創業)である。背後山上には犬山城、遠くに犬山橋も見える。昭和26(1951)年。出展「目で見る犬山・江南の100年」郷土出版社 P127 上 木津用水畔に並ぶ5艘の巻藁船。1艘目の「神明丸」は町内不明。4艘目は鵜飼町「三光丸」、5艘目は屋根の形状から材木町の「豊光丸」か。全5艘の櫓の形状が分かる貴重な写真である。また真柱の提灯の数が13個で、閏月のあった年だと分かる。昭和27(1952)年7月22日。犬山祭保存会提供。 内田あたりの木曽川畔に停泊する2艘の巻藁船。接岸している岸辺は川原である。手前は本町の「咸英丸」、奥は不明だが幕の紋で特定できるかもしれない。巻藁提灯の竿を差す蜂巣の構造がよく分かる。昭和29(1954)年頃。犬山祭保存会提供。 お囃子とともに運航中の巻藁船からは、乗り込んだ人たちによって花火が打ち上げられた。昭和30(1955)年頃、華やかでにぎやかな夏の夜の風景である。この年も真柱の提灯は13個、閏月のあった年である。出典「写真アルバム犬山・江南の昭和」樹林舎(提供=犬山市) 夜の木曽川を巡航する5艘の巻藁船。提灯の光が川面に反映して美しい。 巻藁船から打ち上げられた花火の光跡も映る。遠景は対岸各務原市の旅館 群の明かりか。提灯を灯した5艘すべての巻藁船が揃うこの写真は貴重。 年代は昭和30年代半ばと思われる。犬山在住の鈴木健正氏提供。 材木町あたりの木津用水畔に停泊する「豊光丸」。屋根上の蜂巣、上山の欄間や障子、中山の障子などの構造がよく分かる。遠景に伊木山、昭和34(1959)年、川祭が休止を余儀なくされる最後の写真である。撮影者安藤榮氏提供。 材木町から木津用水を遡上する「豊光丸」。これから昼の部の運航に出かけるところだろうか、日傘を差す町の人々が見送る。櫓を乗せる船は4艘連結、それぞれ4人の船頭が操船する。昭和34(1959)年撮影。安藤榮氏提供。 材木町あたりの木津用水畔に停泊する「豊光丸」。出航前だろうか、船に乗り込んだ子どもたちを親たちが見送っている。昼の運航でも、上山、中山の欄干には末広提灯が据えられる。昭和34(1959)年撮影。安藤榮氏提供。 内田町の木曽川畔に停泊する「犬山丸」と「観光丸」。町内は不明。今もあるコンクリートの堤防道に接岸し、トラックも降りて荷を運んでいる。出典には昭和40年代(1965-74年)とあるので、一旦途絶えた後、夏祭り等で頭首工より上流部分で復活した時があったのだろうか。出典「犬山・江南・大口・扶桑の今昔」樹林舎(提供=犬山市) 昭和55(1980)年8月10日、「第一回日本ライン犬山夏まつり」が木曽川で開催され、材木町の巻藁船「豊光丸」が21年ぶりに復活、花火大会に華を添えた。出典「中日新聞8月11日朝刊」 木曽川畔で提灯を飾る材木町「豊光丸」。背後に頭首工らしき橋桁が見えることや、真柱の提灯の数が13個で他の同じ日の写真と同様であることから、昭和55(1980)年の復活の時と思われる。場所は伊木山との位置関係から迎帆楼前の西谷港であろう。頭首工の影響でこの時はここを起点にしたと思われる。出展「犬山市史・別巻」 昭和55(1980)年8月10日、21年ぶりの出番となった材木町「豊光丸」の前でスナップ。昼間の試運航の時は、巻藁提灯は蜂巣の上部だけに差す少数構成である。材木町住民提供。 昭和55(1980)年8月10日、昼間の試運航で木曽川上流へ向かう「豊光丸」。櫓を乗せる船は大型船の2艘連結で、後部にはエンジン付き。舳先の竿持ち船頭2人と、エンジン担当2人の計4人の船頭で操船する。丸提灯、末広提灯、下山下部の弓張提灯、舳先の高張提灯と、各種提灯の配置がよく分かる。材木町住民提供。 昭和55(1980)年8月10日、提灯を灯して木曽川を巡航する「豊光丸」。真柱には提灯が13個あるが、この年に閏月はないので、付け間違いか、意図して多く付けたのか… 提灯のオレンジ色が美しい貴重なカラー写真である。材木町住民提供。 昭和55(1980)年8月10日、巡航が終わって堤防道に接岸し撤収が始まった時の光景か、巻藁提灯を外しているようなようすも伺える。巻藁提灯のいくつかは灯が消えて、にぎやかだった祭りも終わろうとする哀感が漂う。材木町住民提供。